こんにちは。
きょうは少し私のお話をしたいと思います。
自己紹介ページに簡単に書いていますが、私は過去に1度世界一周をしています。とは言っても、約3か月で世界一周航空券を使用した何ともハイスピードなものでした。その経験と思い出を書きたいと思います。
では、いきましょう。
1度目の世界一周と準備
私は大学時代に世界一周をしました。休学などではなく、授業の無い空いた時間での旅行のため、約3か月というハイスピードで各地を回りました。そして1人で海外に行くなんてことは初めてだったので、非常にドキドキして、ワクワクしていた記憶があります。
世界一周にいつか(在学中に)行こうと決めてお金は貯めていたのですが、出発日も決めずなんとなく過ごしていました。そして卒業半年前、就職先も内定ももらい卒論も出し終え、大学でやるべきことが終わりました。その時「世界一周に行ってみよう!」という気持ちになったのです。
まず初めに旅程を決めにかかりました。出発日は思い立った日から3週間後、そして帰国日は11月半ば~終わり頃。諸々の事情で約3か月という短い時間、その中で自分の行きたい場所をピックアップしていき、ルートが決まりました。日本から東回りで進みます。
同時に、急ピッチでバックパックやら持ち物の準備をしていきました。バックパックは60L程度のもの。その時の私はとりあえず衣服を詰め込み、タオル、サンダル、電源プラグ等々の生活用品と、クレジットカード、パスポート、現金といった本当に必要最小限な荷物で出発しました。今私が当ブログで書いているような便利グッズなどほとんどありません。iPhone4sが最先端の武器でした。笑
時間もなかったので保険も入らず(クレジットカードのみ)、予防接種もせず、その状態で海外へ飛び出て行ったのです。
出国・・・
スタンプを押されて出国した時は、清々しさと不安が混じった気持ちでした。1人ということに寂しさはありませんでした。
1か国目 アメリカ ~昼夜逆転~
1ヵ国目は、アメリカのニューヨークです。到着して空港で市内へのバスを待っているときは「本当に来てしまった…どうしよ…」と不安になっていましたが、ワクワクしていた気持ちが強かった。英語もそんなに分からずバスの降り場も分からないような状態だったにも関わらず、「まあ、どうにかなるでしょ!」と市内に着いて歩いてホテルへ向かいました。
ニューヨークには3~4日滞在予定だったのですが、時差ボケか、疲れなのか昼間はずーっと寝てました!勿体ないですね…
それでもタイムズスクエアに行ったり、セントラルパークに行ったりとずっと歩き続けていました。で、歩き続けた結果、膝が熱を持って炎症を起こして歩けなくなったのです…笑
ワールドトレードセンター跡地も訪問しました。この時にはもう瓦礫もなく、再建の準備が進められていました。行方不明者の捜索も打ち切られた上での再建は、遺族にとって非常に辛い選択だった思いますが、前を向くしかないのかもしれません。
2か国目 エジプト ~甘い認識~
エジプトは海外一人旅初心者には早すぎたのかもしれません。
海外においてその国の事前の予習は非常に大切です。
空港に着くなりタクシーおじさんの攻撃。メーターもぶっ壊れたタクシーで市内へ。ここへ来た目的はやはりピラミッドで、一通り観光を終えた後、街を歩いていると一人の青年が話しかけてきました。
彼と話していると、「家に招待するよ」と言われついて行ってしまいました。タクシーを拾って着いたところは、名も知らない、車もほとんど通らない小さな村。その村へ入っていくと、小さな子供たちが「マネー、マネー」と私を見て言ってきます。この時私は置かれている状況に気づいたのです。
家に入るとお茶をもらいましたが、他の家族が口をつけているのを見て少しだけ飲みました。少しして、青年が「ピラミッドのツアーに行かないか?」と聞いてきたので、「お金がないから無理」と言うとあっさり引き下がりました。そして帰らせてくれないかと頼みましたが、友人を呼ぶから待ってくれとの回答。待っている間に青年の兄と思われる男が2人帰ってきて、しばらく話していましたが、完全に危ない状況。この場に味方は誰もいません。
そして友人と思われる男が車で来て、帰ろうとしたときにお金を要求されました。脅迫といった口調ではなかったのですが財布に入っていた日本円1000円を渡すと車に乗せて帰してくれました。(本当は体中にお金を散りばめていましたが…)
車中でもドアに手をかけ、何があっても大丈夫なようにしておきましたが、幸い何事もなくカイロまで送ってもらいました。最後に運転した男から「15、15…」と言われましたが、分からないふりをして車からすぐに降り、走ってその場を離れました。
今思えばとんでもない危ない状況に置かれていた私。海外の危険への認識が甘かった。
「知らない人には付いて行かない」この常識さえも忘れていました。
3か国目 モロッコ ~砂漠の静寂~
モロッコではそのほとんどの期間をマラケシュで過ごしました。フナ広場という広い広場には夜になると多くの屋台が出され、たちまちお祭り会場のような賑やかな雰囲気になります。そしてその屋台の客引きがしつこい。誰が教えたのか「そんなの関係ねぇ!」とか下ネタとか日本語で言ってきます。
でもその屋台の料理がおいしいんです。安くておいしくて、色んな屋台があるので飽きません。
そのフナ広場、昼間は蛇使いや民族衣装を着た人などパフォーマーが多く居ます。屋台のしぼりたてオレンジジュースを飲みながら散策するのが私のオススメです。
そしてここでサハラ砂漠の1泊ツアーに参加しました。ここで私は砂漠が好きになりました。風の音以外に聞こえてくるものはなく、本当の静寂に包まれます。日が沈み、あたりが暗くなると思いきや、太陽の反対から今度はギラギラとした満月が登ってきたのです。一瞬太陽と見間違えるくらい眩しい満月は電気の無い砂漠を照らしました。私は月明かりだけで夜がこうも明るくなるのかと、感動した覚えがあります。
私以外の参加者はカップルや夫婦ばかりで少し寂しい思いでしたが、1人で物思いに耽るのも最高の過ごし方だと思います。笑
モロッコは印象に残った、そして一番好きな国となりました。
4か国目 ドイツ ~迷子になる前に~
ドイツはミュンヘン。ここで同じ宿だった同い年くらいの日本人の男性からお誘いを受けました、「サッカー見に行きませんか?」
海外でサッカーを見るなんて当初の計画には入っていませんでしたが、私はサッカーもやっていたし、見に行きたかったので一緒に行くことにしました。もちろんバイエルンミュンヘンの試合。テレビでしか見たことのないような世界的な選手が目の前にいて、生でプレーを見れることにとても興奮しました。
このお誘いは非常に有り難かったし、良い経験をさせてもらったと思います。
その後私はノイシュヴァンシュタイン城に行きたかったのですが、事前に調べもせず、ドイツ語も分からず、駅でうろうろ悩むという失態を犯してしまいました。そして「これは下手すると、確実に迷子になる」と結論付け、ミュンヘン市内の散策に計画を切り替えたのです。そう、私は日和ったのです。でもこれで良かったと思います、次の日には移動しなければならなかったので…笑
5か国目 ポーランド ~負の遺産~
ポーランドのハイライトは、アウシュビッツ強制収容所の見学。ポーランドのクラクフと言うところにあります。
ここを訪れて、私が持った感情は「怖い」。何だか分かりません、人が少なかったせいもあるかもしれませんが、見学中に一人になると建物内は異様なほど静かで、コツン…コツン…と靴音だけが響きます。下手なお化け屋敷よりも怖かった。敷地内では当時の施設が見学出来たり、ここで起きたことを知ることができます。
どこに行ってもそうですが、”現地に行って”、”感じること”、”知ること”は非常に重要だと思います。ネットで知ることはできますが感じることが出来る人はそうそう居ない、五感を使ったほうが、より鮮明に確実に記憶に残ります。
最後に
1度目の世界一周を振り返っていますが、私は自分の記憶だけを頼りにこの記事を書いています。日記を毎日つけていましたが、今はそれを見ることが出来ません。それでも、これだけ記憶に残っているということは自分の中でも貴重な体験だったということを実感しています。
次回は6か国目 チェコから9か国目 ヨルダンの振り返りです。
⇒続きを読む 2話目
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